算数 数学

虚数について update 20101211

虚数について >> 認識が広がれば

虚数の対極にあると思われているのが実数です。

 

 実数は現実の数で、虚数は現実には存在しない数、全ての2次方程式に解を持たせるための便宜のために編み出された、人工的な想像上の数である、というのが普通の虚数の理解です。

 

 そのような、現実にありもしない数で、物事を考えても意味はない、と考えてしまいます。

 

 では、人は実数の全てを掌握しているのでしょうか。

 

 実数には、有理数(有比数)と無理数(無比数)があります。有理数(有比数)は、整数と分数があります。整数には、自然数と、0及び負の整数があります。

 

 人は、数を認識するのに、1対1の対応付けからはじめたと思います。

 

 手や足の指をつかったり、便宜的に同じ長さに揃えた木の枝や、同じ大きさの小石を使ったりしたでしょうが、数を数えたいものと基準とするもの(指や小枝や小石)と1対1で対応させて、全体の大きさを知ったり、大小を比較したりしていたのではないかと想像するのです。

 

 だから、はじめ人間にとって数とは1以上の自然数なのです。

 

 ないものは認識することができません。ないものをどうやって対応させることできるのでしょうか。

 

 何もない皿の上の指さして、「何があるでしょうか?」という質問はナンセンスです。
 「答えは、リンゴが0個のっています。」と言っても、誰も認めはしないはずです。
 皿の上の空虚な空間を指さして「ミカンが0個ある」、「いや、リンゴが0個あるのだ」、「いや違う、カキが0個あるのだ」というのは、不毛の議論です。

 

 ところが、当初、皿の上にリンゴが3個のっていて、おなかがすいていたので、1こづつ食べていったとします。
 はじめに3個あった皿の上のリンゴが2個になり、1個のなり、完食して何もない皿の上の空虚な空間を指さして、「リンゴ」がなくなった、と言うのです。

 

 そして、このことも、万人が認めることだと思います。

 

 同じ空虚な空間を指さして、ある時は「リンゴが0個ある」というのはナンセンスでありながら、ある時の「リンゴが0個ある」という発言が受け入れられるのは、なぜなのでしょうか。

 

 世界を「足し算」で考えているうちは「ない」という概念が「0」という数と結びつくことがありませんが、「引き算」をしていくと、「ない」と「0」がやがて結びつくときがやってきたのです。

 

 多分、「皿の上になにもない」ということが数という概念に結びつくには、意識革命が必要だったのだと思います。

 

 はじめ人間にとって「0」は、人間が人工的に作った偽の数、実の数とは違うのだ、数えるときに不便だから、計算の便利のために使う仮の数であるという認識しかなかったのだと想像します。

 

 もしかすると、当時の人にとっては「0」は虚数、想像上の数であったのかもしれません。

 

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虚数について >> ありえない数?

 「0」の壁を越えて、「負の数」を認識できたのは、いつの時代なのでしょうか。

 

 モノの数だけ扱っているうちは、なかなか思いもよらないモノだったのかも知れません。

 

やはり、モノで考えるなら、貸し、借りの関係から、始まったと想像します。

 

 物物交換の時代は、ほしいモノ同士の直接交換だから、自分の持っているモノの価値は、交渉で決めていったのでしょう。

 

 交渉で決められない時は、欲しいという欲求や、必要性を強く感じて、かつ力が強くて・・・・・ 意外と理不尽なことで交渉が成立していたのかもしれませんが。

 

 その場で、交渉が成立すれば、めでたし、めでたしですが、多分力関係で成立したことが多かったのではなかったのかと思います。

 

 紳士的な交渉をしていても、質の異なるモノを、等価に推し量ることはなかなか難しかったのではないでしょうか。

 

 話し合いが、成立しても、この等価交換が、その場でできるとは限りません。そのときは、 「この次まで、貸しにしておくな。」
 「おう、借りておくよ。」
 この、貸し借りが、負の数を認めざるを得ない、しかし、なにげない始まりだったのではないのかと、思います。

 

 貨幣経済がはじまると、当然、この貸し借りは、「借財」と「貯蓄」、まさに、「赤字」と「黒字」という言葉で、「負」の数を認知して行ったのではないのでしょうか

 

 古代ギリシャでは、数というのは、
(正の)自然数(1、2、3、・・・・・・)、
0、
負の自然数(−1、−2、−3、・・・・・)
と、
これらの数の比で表せる数(分数で表現される)までである
と、信じていたようです。

 

 ところが、整数の比で表せる数によって表せる調和の世界を信じていたピタゴラス一派は、整数の比で表せない数を見つけてしまったのでした。

 

 整数の比で表せない数で音階を作ることはできない。
 世界の調和を乱し、世界を崩壊へと導く「無理数(無比数)」を断固として認めることはできない、というのがピタゴラスの思いだったはずです。

 

 しかし、ピタゴラスの信念とは裏腹に、無理数は断固として存在しています。

 

 2の平方根が有理数(有比数)でなく、無理数(無比数)であることの証明は、背理法という方法を使う有名な証明です。

 

 幾何学の発達したギリシャでは、円や正方形は完全を表す簡明でしかも完璧なものの代表であったはずです。
 しかし、この完全なモノの象徴であるはずの円と正方形に、無理数という魔物が住んでいたのでした。

 

 それは、正方形の一辺の長さと斜辺の長さの比、円の直径と円周の長さとの比に他ならないのです。

 

 ピタゴラスはこのことを封印しましたが、無理数がなくては実数は完全ではありません。

 

 ピタゴラスは完全を完成するために無理数を否定しましたが、その後の数学は、完全性を完成させる過程で無理数を認知したのだと思います。

 

 このように、数の広がりは人間が認めようと認めまいと、厳然と存在するのだと思います。

 

 そのような中で、虚数だけは実の数ではなく虚の数である、と言い続けることはできないのだと思います。

 

 実数は自然に存在する数だが、虚数は人間が人工的に作った想像上の数である、という認識は誤りだと思うのです。

 

 はじめ人間たちは「0」を人間が作り出した想像上の数と認識していたかも知れない・・・

 

 古代人は「負の数」を人間が作り出した想像上の数と認識していたかも知れない・・・

 

 ピタゴラスは「無理数」を人間が作り出した想像上の数と認識していたかも知れない・・・

 

 現代人の多くの人は「2乗して負の数になるある数」を人間が作り出した想像上の数と認識している・・・

 

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----- ここまで 20081115 -----

 

 

 

虚数について >> 謙虚に・・・

 「・・しかし、虚数は決して思考の遊戯ではなく、√(-1)をその定義とする数学的実在である。・・・」
「オイラーの贈り物(人類の至宝e^iπ = -1を学ぶ)」吉田武著、ちくま学芸文庫(2001年11月7日第1刷発行、2003年7月20日第7刷発行、p45)

 

 またガウス(1777〜1855)の言葉として、

 

 「人がこれまでこの対象(複素数)を誤った観点から眺め、その際に謎めいた暗黒面を見いだしたとすれば、それはおおかた、まずい命名の仕方のせいである。
 +1、ー1、√(ー1) などを、正の、負の、虚の(あるいは不可能の)単位としてではなく、たとえば、
 直接の、逆方向の、縦方向の単位、とでも名付けていたならば、そのような不可解さは問題にならなかったに違いない。
」  
(「数学ビギナーズマニュアル」佐藤文広著、日本評論社(1994年6月10日第1版代1刷、2000年7月30日第1版第8刷、p133)

 

 ガウスの言っている√(-1) すなわち i を「縦方向の単位」と呼ぶには、理由があります。

 

 「虚数は実数ではないので、確かに数直線上にはありません。

 

 では虚数や複素数が実数直線上にないとして、それらの数は一体どこに「ある」のでしょうか。
 それらの数を、実数のように、表示することができるのでしょうか。

 

 ある数に ー1をかけると数直線上の位置がちょうど180度入れ替わります。すなわち、 -1をかけることの解釈として、数直線上の数の180度回転という操作を考えることができます。

 

 ところが  ー1 = i × i

 

 ですから、 i を2回かけると180度の回転になる。つまりiをかけるという操作は、180度の半分の回転、すなわち90度の回転を表すと考えられます。

 

 したがって、1にi をかけるとは、1を数直線上を飛び出してちょうど90度回転した直角の位置にくるということになるのです。   
 このようにしてi は、実数軸に直角に交わる虚数軸上にくるのです。つまり虚数i は、実数直線に垂直に交わる直線上にあることになります。・・・

 

 こうして複素数の平面への表示が得られます。
 結局、複素数は確かに実数直線の上にはありません。その意味では「実在しない」数です。

 

 しかし、数が数直線上になければならない、という理由もありません。 
 複素数は実数直線を飛び出した平面上にあります。・・・」
(「読む数学」瀬山士郎著、ベレ出版(2006年10月25日初版発行)

 

 そういえば、DVDで観た「博士の愛した数式」の中で、高校の数学教師となった√(ルート)君は、最初の授業の中で虚数について、
 「虚数の「虚」は、「虚心」の「虚」、「謙虚」の「虚」、虚数は遠慮深く普段は表に現れないけれど、この小さな両手で世界を支えています。

 

 と説明していました。

 

  

 

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----- ここまで 20081230 -----

 

 

虚数について >> 回転

実数という無限の世界を1本の直線で表すことができると一番はじめに思いついたひとはすごいと思います。

 

同じように、純虚数の世界も一本の直線として表すことに思い至ったひとはすごいとおもいます。

 

この実数の直線と、純虚数の直線を、それぞれ「0」の原点で「直角に」交わらせることを着想した人は超天才でしょう。そこに創造された世界は、平面なのにまったく異次元元和な平面が広がっているのです。

 

複素平面とも、ガウス平面ともいいます。

 

実数の数直線の部分を実軸といい、純虚数の数直線の部分を虚軸といいます。

 

慣例では、2次元平面を表すx−y平面に模して、x軸に相当する部分を実軸として、y軸に相当する部分を虚軸に当てはめます。

 

平面の任意の1点は「実数+純虚数」で表されて、これを「複素数」といいます。
この世界では、結構おもしろいことが経験できます。

 

複素平面上で、虚数単位の「i」を乗ずるたびに、左に90度回転するのです。

 

ということは、「−1」を乗ずるとは、左に180度回転させることを意味するのです。

 

実軸上では「負×負=正」の意味を理解するのに難儀しましたが、複素平面で考えると目に見えてくるのです。

 

複素数と図形を結びつけるなんて誰が考え付いたのでしょう。彼もまた超天才です。

 

 

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